「私の心の炎の中へ来なさい。この浄める雰囲気の中で自分を没入させなさい。私はあなたがたのイエス、肉体化されたものとして生まれました。私はあなたとの会話を続けるためにやってきました。謙虚な心は私にはどれほど喜ばしいことでしょう。そんな心は私の手の中での素直な道具です。それは自分自身への代償も考えず、最も多く愛するものです。謙虚な心を持つ魂は自己を見失い、それが空であるために私はそれを満たすことができます。」
「さあ、私の使者よ、私がどれほど傲慢な心に嫌悪感を抱いているか理解してほしい。そんなものはサタンの気まぐれに開かれているからです。彼は自己重要視で満たされています。傲慢なものはいつでも自分自身が喜ぶことを求め、自分の利益を追い求めています。中には表面上私のために仕えているように見える者もおりますが、実際は自分たちのスポットライトを探しているだけです。」
「はい、傲慢さはすべての罪の基盤です。(ただしここで私は時折誇りに落ちる魂について言っているわけではありません。それは常に改善を求めているものです。私にはそのような者たちへの慈悲があります。)私が言うのは自己中心的な傲慢な魂、心の中を見て可能性のある過ちを探さないもののことです。彼らは責任を与えられると導くのではなく支配します。彼らは自分の過ちは見えず、いつも他人のせいにしています。」
「今日私の心は傲慢さで深く傷つけられています。このような心が政府を支配し、私の教会にも存在します。それはしばしば知的主義という形を取ります。神を思想の源として認めるなら知性は良いものです。しかし魂が自分自身をすべての考えの創造者であると信じ始めたら悪いことになります。」
「傲慢なものはただ自己のみに頼っていますから、私は彼らから離れていきます。今日の世界は謙虚さや単純さを嘲笑しています。したがって、聖なる愛と神聖なる愛を嘲笑しているのです。多くがこの罪で有罪判決を受けるでしょう。そしてそのせいで多くの者たちが滅びに向かっていきます。」
「私は羊たちを自分自身へ呼ぶ牧人としてこれらのことをあなたに伝えています。」