2009年8月1日土曜日
2009年8月1日(土曜日)
(アルフォンソ・リグーリ)
イエスは言われました:「私の民よ、私は世界の「光」であると申したことを聞いたであろう。それは私が罪の闇を払うからだ。同じように、私に忠実なすべての者がこの世での私の光となり、信仰の光を他人に広めることができるよう望んでいる。一本のロウソクは夜や世界の悪の闇の中で見た目には無意味かもしれない。しかし、多くのあなたたちが信仰のロウソクに火をつければ、人々が私への道を見つけるために十分な光があるだろう。司祭は説教で善行について語ったが、最も素晴らしい善行とは誰かを信仰に導くこと、または信仰から離れてしまった者を再び信仰に戻すことだ。あなたの家族の中でも、あなたは家族のための信仰の手本であり灯台でなければならない。日曜日のミサと私の聖祭へ帰る必要がある人々のために祈りなさい。あなたの祈りが彼らの救いとなるかもしれない。」
イエスは言われました:「私の民よ、あなたは毎週少しずつ家や庭を整える時間を過ごしている。中でのほこりと外での草刈りや手入れに時間が使われる。あなたの持ち物と体の見た目には良い印象を与えたいと思っているようだ。もし私があなたの魂を見せてあげたら、罪の闇で驚くだろう。私は常にあなたたちの内面的な姿を見ているし、多くの魂は私から見て不快である。外見だけではなく、魂の中も整えたいなら、司祭のところへ告解に行きなさい。そうすれば私が罪を洗い流し、私の美しい恩寵であなたたちの魂を新たにすることができるだろう。聖人たちは内面的な姿より外見にはあまり気をつけなかった。中にはフランシスコ会士のように財産を捨て、謙虚な服装しか身につけていない者もいた。整った外見は良いが、私の目から見ると魂の姿の方がもっと大切だ。」